小さな幸せ

平凡なママのひとりごと

控えているもの

 

 

 

最近特に控えているものは、人工甘味料

 

食品添加物のひとつで、カロリーオフやカロリーゼロ食品によく使われているもの。発がん性があるとも言われています。

 

 

今までダイエットといえば、とりあえずカロリーを抑えたくて、この人工甘味料をたくさん摂取してきた。

 

スクラロースとかアスパルテームとかがそう。

 

 

でも改めて考えてみた。

何のためにダイエットしてるんだろう...

 

する必要ある?

 

今、私にとって幸せなのは

旦那さんと娘と楽しく暮らすこと。

 

 

もちろん、健康体でいたいから暴飲暴食OKとかではなく、心がむなしくなるダイエットはやめようと。

 

 

 

そんな思いになって2ヶ月弱。

 

 

 

大量に摂取していた人工甘味料をなるべく摂取しないようにしています。

 

 

最近は料理、お菓子作りが趣味になってきて、お砂糖は『てんさい糖』というものを使っています。ミネラルなどが豊富だとか。

 

 

 

そういえば、妊娠初期のつわりがひどかった時、カロリーゼロのカルピス飲んで、めちゃくちゃ苦く感じたなぁ。

 

 

あの頃は味覚がかなり敏感だったし、きっと赤ちゃんが身体に悪いものを取り入れないよう、教えてくれていたのかも。

 

 

 

まあ妊娠後期くらいにはまた飲んでいたけど...。

 

 

最近色んな本などでも人工甘味料はあまり良くないということも書かれてるから、引き続き控えよう。

 

 

 

12歳でなった摂食障害⑤

 

 

 

カロリーの曖昧なものは未だに食べれないものの、自宅安静のおかげか、身体はある程度回復。

 

ただ、病院の先生からは「もっと摂取カロリーを増やさないと、これから先も学校を休まないといけないよ」と言われていました。

 

 

 

次の春から中学生。

 

 

何としてでも学校に行きたい私はほんの少しずつ、食べれるもの、食べれる量を増やしていった。

 

 

ガリガリの手足、カサカサの肌、青ざめた顔。

 

 

今母親になって思う。我が子がこんな姿になったら、毎日気が気じゃないだろう。

 

 

でも当時の私は、自分の骨を触って安心していた。“まだ痩せてる、大丈夫。”って。

 

 

痩せてることが全ての正義だった。

 

 

歪んだ価値観。

 

 

 

まだまだ年齢的にも幼い私だったから、間違った思考になってしまったのも、しょうがないと思う。何よりも苦しくてつらい思いをたくさんしたから、当時の自分を責めようとは思わない。

 

 

 

でも時々思う。この頃に戻れたら「その考えは間違ってるよ」って言ってあげたい。

 

 

 

 

小学校の卒業式にも無事出席でき、春からは毎日中学校に通うようになった。

 

 

 

 

 

12歳でなった摂食障害④

 

 

学校も休むことになり、1日のほとんどをこたつで過ごす日々。次の病院で体重が落ちていたら入院になってしまうため、今までよりも摂取カロリーを増やした。

 

この頃の食事は、昼と夜に麺類を一人前食べるようになっていた。主にうどんやたらこスパゲッティ、蕎麦なんかを食べていたと思う。

 

なぜ麺類だったかは、カロリーが比較的わかりやすかったから。カロリーの分かってるものは安心して食べれた。だから冷凍食品のグラタンなんかも食べていた。最近は食べてないから分からないけど、あれ一個約200カロリーとかだったと思う。

 

 

カロリーの摂取量自体はまだまだ平均に足りてなかったけど、ほぼ動いていなかったため体重の減りも落ち着き、入院することはなかった。

 

 

身体のダメージは少し和らぎ、食べる量も一番少なかった時からは増え、順調なような気がした。

 

だけど摂食障害との闘いはここからがスタートだったと思う。

 

 

体重が増える→病気が治る

 

こんな単純なものではない。

 

 

 

摂食障害は心の病だから、根気強く付き合っていかないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12歳でなった摂食障害③

 

 

 

『拒食症』と診断された日、入院を勧められたけど、どうしても嫌だった私は自宅安静かつもう少しご飯を食べるという約束を先生として入院は間逃れた。

 

 

具体的には次病院に来た時に、体重が今よりも減っていたら即入院ということだった。

 

今からもう17年ほど前のことなのに、その日の帰り道のことをよく覚えている。“明日から学校に行かなくていいのか”“これから何をどれくらい食べたらいいんだろう”

 

 

そんな安心感と不安感が交差していた気がする。

 

学校が嫌いだったわけではなく、ガリガリに痩せた身体での学校生活がもう限界だった。冬だったから骨まで寒くて痛かったし、友達と喋る気力も失っていた。

 

友達に「なんか最近〇〇ちゃん変な気がする」って言われたとき、“あぁ、私もう限界だ”って思ってその日母に泣きながら「前の自分に戻りたい。」って言って抱きついたことを今このブログを書いていて思い出した。

 

 

母も父もものすごく心配してくれていた。というか心配をかけてしまった。

 

ただ当時は、「もっと食べなさい」と言ってくる人が敵に見えていて、“私を太らせようとしてくる”そんな思考回路になっていた。

 

 

だからたくさん両親には反抗してしまった。

 

 

次からは自宅での療養生活を書いていきます。

 

 

 

 

 

美味しいお味噌汁を作れるお母さんになりたい

 

 

 

タイトル長いですね。(笑)

 

その名の通り、美味しいお味噌汁を作れる奥さんであり、お母さんでいたいと思うように。

 

お味噌汁って特別なものじゃないし、ご馳走でもないけど、具沢山にすれば立派なおかずになるし、何よりも身体中に染み渡る感じが好き。

 

我が家の夜ご飯には何かしらの汁物があるので、(味噌汁か野菜スープか中華スープか)毎日摂り入れるものは身体にいいものが良いと思い、まずはお味噌を無添加のものに。

 

味噌って、なにで出来てるか知ってますか?

 

私は知らなかった。というか気にしたことがなかったので、利便性を求めてボトルタイプで出汁入りのものを使っていたけど、砂糖とか添加物が入ってるんですよね。アミノ酸とか。

 

本来味噌は、大豆・麹・塩のみでできるもの。大豆は国産で遺伝子組み換えでないものを選びたいし、麹の種類(米か麦かとか)によっても味が変わるみたいで、自分好みの味噌を見つけたい。何なら味噌もゆくゆくは手作りしたいなんて思ったり。

 

とりあえず今はスーパーでみつけた、無添加の味噌を使ってます。余計なものが入っていない味噌で作るお味噌汁、なかなか美味しく作るのが難しい。砂糖やアミノ酸などの添加物が入っていない分味が誤魔化せないからかな。(笑)

 

出汁の取り方を変えてみたり、現在進行形で研究中です。

 

 

ちなみにお味噌汁の具は玉ねぎ、大根、ほうれん草あたりが好き。あと木綿豆腐をさいの目切りして入れると満腹感でるからおすすめです。

 

 

 

 

 

12歳でなった摂食障害②

 

 

 

私自身も母も、最初は摂食障害だと思っていなくて大学病院では胃のエコーなど、色々と検査をおこなった。

 

この頃私が摂取していたのは一日に500カロリーのみ。

 

 

自分の中のルールで朝は100カロリー以内、昼、夜それぞれ200カロリー以内としていた。

 

きっと500カロリーも摂ってなかっただろうなぁ。

 

朝は80カロリーの冷凍焼きおにぎりを食べ、昼は学校の給食で牛乳一本とおかず少し、夜は納豆素麺を50グラム。

 

母が作ってくれた料理にはほとんど手をつけいなかったと思う。いま思い返しても胸が痛くなる。

 

自分が、母親になって、よりあの頃の母の気持ちを考えるとつらい。

 

 

色々な検査を行ったのち、ついた病名が“摂食障害”だった。摂食障害でも『拒食症』というものだった。

 

 

当時の身長は覚えてないけど(たぶん145センチくらい?)拒食症になる前の体重が32キロ、診断名がついた時には25キロ。本当にガリガリになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12歳でなった摂食障害①

 

 

 

私は12歳(小学校6年生)のときに“摂食障害”というものに陥った。

 

 

それまで食べること大好き!の私がこの頃を境に、『食べる』ということに苦しむことに。

 

 

摂食障害になったのは、特にこれといってきっかけがあったわけでなく、夏バテで少し食欲が落ちたのと同時に体重が減った。思春期に足を突っ込んだくらいの私はその事が妙にうれしく感じた。

 

 

特に太っていたわけでもないけど、やっぱり思春期の女子は痩せるということが嬉しい。体重は数字に現れるから、もうちょっと頑張ろうかなが積み重なって、日に日に食べる量が減っていった。

 

この頃は食べ物のカロリーを調べることが趣味になり、徹底的に調べた。

 

今でもほとんどの食べ物(食材、チェーン店のメニューなど)のカロリーが頭に入っていて、忘れたくても忘れられない。(笑)

 

 

夏頃から痩せていき、冬頃には日常生活もしっかり送れないくらいに。母に連れられ、大学病院に通うことになりました。